形成外科の文化を和歌山に

去年、日本形成外科学学術集会総会が60回目を迎えたのにも関わらず、地方に目を向けると未だ形成外科の認知度が低いのは否定できない。和歌山県内に形成外科を認定施設は当院を含めて3施設しかなく、「形成外科とは」「形成外科の文化を和歌山に」という切なる想いで、赴任直後から、地域での講演、市中病院や開業されておられる先生との交流を積極的に取り組んでいる。
形成外科は、特定の担当臓器を扱わず、全⾝のあらゆる部位の再建を行う外科学と表現される。かつて形成外科は、身体外表の形態異常や欠損を治療し、形態的・機能的に正常に近く再建することを目的とした外科学と説明されていたが、これでは一般人はおろか医師でも理解しがたい。例えば、頭頸部再建外科は身体外表の外科であろうか。
こちらに来て医療関係者でも、形成外科と美容外科が同義語のように捉えている人が多いことに驚いた。そこで、まずは形成外科と美容外科との違いについて理解してもらおうと考えた。形成外科は外表面の形態異常(変形・欠損)を取り扱うと説明すると、あまり聴衆は理解してくれない。そこで、形成外科は「全身の目に見えるおかしなところ(醜形)」を治療する。すなわち、マイナスの状態を解剖学的に正常に近い状態にする外科学。逆に、目を大きくしたい(重瞼術)、鼻を高くしたい(隆鼻術)などは、正常より美しい状態を求める方を対象とする外科が美容外科(美容整形)である。美容外科は対象者が病人ではなくお客さんなので、保険診療が施行できない(自費診療となる)。これらをスライド1枚で説明するとかなりの理解を示してくれる。次に、術前、術後で患者さんの表情が変わったスライドを出し、和歌山に来てからのキャッチフレーズでもある「形成外科は患者さんの心を変える外科」と述べると、とどめを刺すように理解して頂ける。でも、ある程度理解してもらうには、スライド数枚を要する。形成外科を他科と違い、ひと言、ふた言の口頭で説明し理解してもらうのは不可能な診療科である。われわれ形成外科医の永遠のテーマは、形成外科を口頭で理解してもらうようにすることかもしれない。
当初、講演をしていると、ある先生から先生の話は、形成外科が隙間産業的な外科に思われるので、良くないと忠告された。赴任して1年程は、知らず知らず隣接領域の他科に遠慮してしまったせいか控えめな講演内容になっていたかもしれない。しかし、この指摘は有り難く、それ以降、形成外科医は「Surgeonʼs surgeon」、形成外科は「近代の進歩した科学のエッセンスと合理性が集約された外科」と説明するようにした。すると、聴衆者から面白かったとか、形成外科のことがよく分かったなどの感想を頂くようになった。注意や指摘されることは、本当に有り難い。
札幌医科大学外科学教室の初代教授高山先生が座右の銘にしておられた「格物到知」(礼記)を胸に努力する所存である。以下、わたしが好きな一節である。

格物到知
ただ、わたくしは、自分がこの世の中に生まれて、それがいかに小さなことであっても、自分だけしかできえない何事かのあることを知得し、それを成し遂げるべく努力をする、幼稚であってもひたすら努力してそれを成し遂げようと努力することによって、わたくしははじめてわたくしの生きがいを見い出す。ただ努力するという過程のみが、わたくしをして自負せしめる唯一の生きがいであるといえよう。わたくしは、ただそれだけの人間であるにすぎない。